
泣けるほど悔しいなら、あなたはまもなくブレイクする。
結果が出る人と出ない人の差は一体何だろうか。
能力の差や才能の差もあると思うが、一番の原因ではない。
一番の原因は、”あなたが泣けるほど、努力したか否か”にある。
あなたも人生で一回は泣けるほど、悔しい思いをしたことがあるだろう。
おそらく学生の時だけではないだろうか。
もし社会人になっても、あなたが悔し涙をしているならば、一つ言葉をプレゼントしたい。
”あなたはまもなくブレイクする”ということを伝えたい。
なぜなら、泣けるだけの努力を重ねることは、極少数の人間しかできないからだ。
あなたの周りを見回してほしい。
傷つくことを言われて泣いている人はいるだろう。
ただ、努力しても努力しても上手くいかなくて、泣いている人はいないはずだ。
努力ができることは、人間にとって一番の才能である。
努力を才能と思わず、努力をやめる人をたくさん見てきた。
結果とは、徐々に出るものではなく、”ある時、急に成果がでる”ものである。
様々な分野で試してみたが、結果が出始める前は、いつもとても静かだった。
結果が出る前兆は、静かに歯車が噛み合ってきた感覚があった。
その感覚を体感してほしい。
目的地を持って、行動すること
では、歯車が噛み合うには一体どうしたら良いのか。
それは、”失敗する度に、失敗を矯正する”しかないのである。
人は一度注意されたくらいでは、直らないのは周知の事実であり、注意される度に強く意識し続けるしかない。
つまり、素直になるということだ。
素直になった上で、明確な目的を持つべきだ。
なぜなら、明確な目的がない船旅はどこに着くか分からないのと同じだからである。
努力という最強の才能を標準装備したあなたは、”明確な目的と素直さ”があれば、目標達成できる。
もうひと踏ん張りして、一つずつ目標を達成していこう。
目的を明確にすると、上手くいく。
目的の違いで大きく成果が異なる例を1つお話したいと思う。
一般的なタクシーの運転手と、大企業の専属タクシーの運転手では、目的が異なる。
一般的なタクシーの運転手は、”いかに早く、安い料金で、お客様を目的地に届けるか”の一点しかない。
反対に、専属タクシーの運転手は、”いかにお客様に、負担をかけず快適に、目的地まで届けるか”の一点しかない。
もちろんどちらが良いという話ではなく、そもそも目的が違うのである。
前者は多少運転が荒くても、許される。
後者は運転が荒いと、クビである。
後者の運転手は、アクセルの踏み出し方や、ブレーキのかけ方まで意識している。
「どの速度で、減速すれば快適に過ごして頂けるか」、まで考え抜いている。
そして、考え抜いただけでは足りず、相当の練習量をこなしている。
具体的には、車内に水を入れたコップを置き、コップから水がこぼれない運転を何度もする。
何度も水がこぼれ、失敗する。
ただ、そのうちにコツを掴んでくると、あっという間に水をこぼさなくなる。
つまり、乗せている人に不快感を与える”始動時と停止時”に最大の配慮を配る準備ができたということだ。
専属タクシーの運転手に求められるのは、荒い運転をせずに快適に目的地まで送り届けること。
目的と努力が噛み合った瞬間である。
今の時代、「そんなことをしているのか?」と思うかも知れないが、プロは、わざわざ「こういった練習をしている!」など、口には出さない。
成果が出る人は、陰で何度も失敗して、悔しい思いを他の誰よりもしている。
膨大な練習量の結果が、わずか30分や60分の運転に凝縮されているのだ。
スポーツ選手もそうだろう。
短距離走でいえば、わずか10秒の為に膨大な練習量をこなしている。
その10秒だけを見ると凄いな、と感心するが、裏では猛烈に努力している。
ただその努力の仕方が、長距離走のトレーニングを積んでいたとしたら、どうだろうか。
短距離走と長距離走の練習のメニューは全く違う。
短距離走の練習で、長距離走の良い記録が出ないように、長距離走の練習で短距離走の記録はでない。
つまり、努力量は適正だとしても”努力の方向性”が合っていなければ、噛み合わないである。
反対にいえば、あなたの努力の方向性さえ合っていれば、噛み合うのだ。
方向性を合わせるには、”今この選択肢が正しいのか”を常に考え抜くことである。
もしそれでも分からないなら、天才に聞くではなく、”凡人の成果を挙げている人”に直接聞こう。
間違っても天才に聞いてはいけない。
なぜなら、天才は『なぜあなたがそんな場所で躓いているのかが、分からないから』だ。
聞くなら、あなたのように努力型で、少し不器用だが成果を挙げている人に聞くべきだ。
その人は、”今あなたに必要なこと”を教えてくれる。
同じ苦しみを味わった仲間として、惜しみなく上手くいく秘訣を伝授してくれるだろう。
PS:踏ん張ったキッカケはボロボロの地図
私も何度も努力の方向性を間違えてきた。
家族世帯に配るチラシを、手当たり次第にマンションやアパートに配っていた。
つまり、独身世帯の住居にもたくさん配っていたということである。
チラシを配る量は、社内でもダントツ一番だったのだが、成果は鳴かず飛ばずだった。
中には、傷つく言葉を投げかけてくる先輩もいた。
その中、分からずに立ち往生していると、今の上司が地図を渡してくれた。
その地図は、家族世帯のマンションに赤丸でマークしているものだった。
すぐに、その上司も努力型の不器用な人だと分かった。
なぜなら、もらった地図はボロボロに使い古されたものだったからだ。
私は、「この人にもそんな時代があったんだ!」と少し安心できた。
「もう少し踏ん張ろう!」と、私が決意したキッカケだった。