下剋上人生だからこそ、愉しい。

下剋上人生だからこそ、愉しい。

prologue~仕事もプライベートも傷だらけの人生だから、愉しい

必死に泳いでも、進まない。

全身に乳酸が溜まって、どんどん身体が鈍くなる。

そんな感覚を、経験を、数えきれないほどしてきた。

 

人は、それぞれ異なる人生を歩んでいる。

人生の中で「こんなに酷い人生を歩んでいるのは、自分だけ?」と思うこともあるだろう。

「何でこんなにも毎回上手くいかないのだろう」と落ち込むこともあるだろう。

 

大丈夫。同じく私も数々の失敗と避けられない不可抗力に苛まれてきた。

 

冒頭でも言った、”泳いでも泳いでも進まない状態”をたくさん経験してきた。

「どうしてここまでプライベートも仕事も上手くいかないのだろう?」と悩んでいた。

 

しかし現在の私は、5年連続4憶円以上の売り上げを継続する、高級住宅営業のトップセールスマンである。

最年少で会社役員に抜擢され、令和に入っても、記録更新中である。

この肩書より一番誇っているものがある。

 

業界異例の成約率90%超えの営業スキル』である。

 

そんな私も当時は成約率20%だった。

だがある時を境に仕事が面白いくらい上手く回るようになったのだ。

 

人生が好転し始めたキッカケは『逃げ出した回数より、困難に立ち向かった回数の方が少し多かった』ことだった。

 

もちろん、全てに立ち向かったわけではなく、一目散に逃げ出したこともあった。

それでも諦めずに、立ち向かい続けたから”今”があると思っている。

 

なぜ現役営業マンが惜しみなくノウハウを公開しているのか?

今現在、私の半生の経験を元に営業技術と出世のコツをTwitterと当ブログで発信している。

ここでよく聞かれる質問がある。

 

「なぜ営業の技術を現役営業マンが公開しているのですか?」

 

それは実際に営業をしていて下記のことを強く思っていたからだ。

昔売れた営業マンの話で役に立つことが極めて少なかったこと

再現性のある営業をしている人が少ない

現役営業マンで売れている要因を”言語化”できている人がいなかった

 

つまり『昔売れた再現性のない営業マンの話には説得力がなく、現役で売れている営業マンの多くが言語化して営業を伝えられない』と分かったからだ。

 

部下から「売れるスキルを言語化して欲しい!」との声があった。

私も言語化するなら「社内だけで共有するのは勿体ない!」と思い悩める営業マンにも公開しようと踏み切った。

 

私の営業には再現性があると確信しているし、私が掲げる瞬決営業に触れれば、商品説明を長々する前にお客様が「あなたで商品を買いたい!」と一瞬で決断する営業ノウハウをHPで公開している。

 

本当に惜しみなく、全力で書いている。

ぜひ営業の素晴らしさを触れてみてほしい。

ただ私の壮絶な生い立ちも、ぜひこのまま見て貰いたい。

 

このページでは、そんな私の人生をあなたに向けて少し語っていきたい。

 

このキッカケでプライベートや仕事で悩んでいる、あなたの少しの力になってくれれば嬉しい。

 

 

人生の始まり:母の自殺未遂から学んだ言葉の大切さ

4歳の頃、母は私と自殺しようとした

 

原因は、父親の暴力・酒・金・女が原因である。

 

すぐに離婚したが、親族ですらバツが何個付いているのか分からないほど、女癖も悪かったらしい。

たった2文だけで、私の父親らしき人の印象は分かって頂けたと思う。

そんな父親の横暴な行いのおかげで、母は私と一緒に自殺を図る。

 

母が大量の薬を口に入れて飲む際に、4歳の私はこんなことを言ったらしい。

 

「大丈夫、ずっと一緒だからね」と。

 

その言葉で母は我に返り、自殺すること辞めて、「頑張ってこの子と一緒に生きていこう!」と誓ったらしい。

 

私自身、当時の記憶は覚えていない。

だが、母が亡くなる前に教えてくれた話。

 

私はこの話を聞けて、心底良かったと思っている。

 

母が薬を大量に飲まずに済んだのも心底良かったが、それより何より『言葉の大切さ』を知れたからだ。

 

「言葉には、途轍もない力が秘められているのだな!」と、学ばされた。

 

母の突然の余命宣告!41歳の母が他界~時間は有限であることを学んだ

19歳になったばかりの4月。

あと1年で、20歳だ。

 

ようやく母に、成人した息子の姿を見せることが出来る。

 

が、私の人生はいつも急に何かが降ってくる

母が「背中が痛いな」と訴えていたので病院に行ったら、膵臓がんと子宮がんと診断された。

 

母は、余命1年を宣告された。

 

私は突然の母の余命宣告を聞いても全くピンッとこなかった。

ピンッとこないまま月日は過ぎ、病院でガリガリになった母の体を見ても、まだ現実ではないような気がして、呑気に過ごしていた。

 

今でも本当に後悔している。

 

「あの時、あの返事をしておけば良かったな」

 

「母の話を聞くのが辛かったせいか、母が話すのを遮ってまで、私がマシンガントークをしてしまったな」

 

「何でもっと病院に通って、話を聞いてあげれなかったのか」

 

と、今でも思い出すとじんわり涙がこみ上げてくる。

精神的に大人になった今「あの時に戻って親孝行をしたい!」と心の底から思う。

 

そして母を心の底から褒めてあげたい。

 

あの弱い母が黒い液体を吐きながら、元気に振舞っていた母。

そして、自殺を図った母が最期まで弱音を吐かず、人生を全うした母

 

母は、42歳で短い人生に幕を下ろした。

この経験を経て、痛すぎるほどの『時間の大切さ』を学ぶことが出来た。

 

80歳まで勝手に生きると思っていた私が、”初めて死を身近に感じた瞬間”だった。

 

いつ人生に幕を閉じるかが分からないことを学んだ。

時間は有限であることを知った日。

 

そして今を全力で生きることを決意した日だった。

 

安定を求めた経理職志望から、まさかの営業職へ

私は安定した職業を求め、経理の資格を取得出来る専門学校に入学。

専門学校で経理の資格を取得し、大手企業に就職が決まりかけていた。

 

だが人生を変える出来事が起こった。

 

その専門学校は少し変わっていた。

大学でいう卒論の代わりに『大手企業の社員達を招いて、企業の売上を挙げる為のプレゼンを発表する』という行事があった。

 

1チーム5人編成で、プレゼンターは1人で、プレゼン時間は15分間。

私のチームはパソコンには強いが、人前で話すのは苦手なチーム。

話すのは不得意ではなかった私がプレゼンターに選ばれた。

 

プレゼン発表の当日。

100名前後の大手企業の社員と生徒の前で、発表を始めた。

 

私が話し始めると会場に笑いが起きた。

「あぁ…またか」

 

やがて発表を聞いている社員達が静まり返った。

「また変なこと言ったかな?」

 

プレゼン中は「とにかく早く終わってくれ!」ということしか考えていなかった。

そして、プレゼン発表を終えた。

 

話終えた瞬間、大きな拍手に包まれ大喝采を浴びたのだった。

今でも、目を閉じると思い出せるほど高揚感だった。

 

結果は優勝。

優勝者だけが行ける全国大会への出場が決まった。

全国大会でも、プレゼン賞を受賞することができた。

 

その行事が終わってからの話だ。

当時の先生に「経理職ではなく、営業職が向いていると思うよ?」と言われた。

尊敬していた先生だった為、素直に取得した全ての資格を置いて営業職で内定を掴んだ。

 

この時「自分が向いているものと、自分がやりたいことは違う!」という事を学ぶことができた。

 

つまり「小さな才能は自分では発見しずらく、他人に発見されて気付くものもあるのだな!」と理解した。

 

この経験は、人生を大きく変える出来事となった。

行動して人前に出ることで”才能の断片”が分かるということである。

 

大間違い!営業がデキると思って入社した大手営業会社でボロボロに

大手賃貸営業に初就職後、初めて与えられた机は小学生用の机だった。

決して、社会人が使うデスクと呼べる代物ではなかった。

 

期待と気合に満ち溢れていた私は、不動産会社で賃貸営業職として就職していた。

待ち受けていたのは、子供みたいなイジメ。

小学生のような机でパソコンすら支給されず、雑務の日々。

 

札幌市全域の、30件前後の鍵の返却を毎朝命じられる。

命じられるといっても、私の机に黙って他の社員がボンッとおくだけ。

あちこちに鍵の返却をするので1回返すのに4時間かかる。

 

つまりお客様と接する機会も与えられず、パソコンもない状態が続いたのだ。

 

コソ泥のように先輩の席が空くのを見計らって、パソコンをいじる日々。

エリアマネージャーが来る時だけ、堂々と接客をさせてもらえる。

普段は何も教えてくれないのに、偉い人が来た時は皆して教えてくる。

 

まぁ、イジメだからそういうものだろう。

強いモノが来た時だけ、仲良く見せる姑息な技である。

 

堂々と接客させてもらっても、何も教えてもらっていない私はもちろんミスを連発。

 

エリアマネージャーからは「今まで会ってきた新人の中で一番不出来だ!」と直接言われ、素晴らしいあだ名がついた。

 

「木っ端」だ。

センスがある。

 

木っ端とは、名の如く「価値のないもの」という意味である。

悔しすぎて、店舗で涙を流してしまった。

 

その時に「こんなクソ会社もう辞めよう。ただどうせ辞めるなら、言いたいことを言って、やりたいことをやってから辞めよう」と、腹を括ることが出来た。

石の上にも三年という誤った固定概念が消えた。

入社からには最低3年間働かなければいけないという常識がなくなった途端、肩の荷がおりた。

 

この経験のおかげで、真面目な私は「一般常識に囚われ過ぎてはいけない」という事を学んだ。

 

成績が挙がったキッカケは”辞める覚悟”だった

辞めると腹を括ってからは、成果が出るのは早かった。

上司に遠慮などせず、与えられないパソコン環境でも集客を果敢に取ることに決めた。

パソコンに届いているお客様のメール反響を全て取るつもりで、朝一番に出社し、「この物件見たいです」というお客様の反響メールに全て対応した。

 

次第に忙しくなり、確実に私より忙しくない先輩をみて思わず言ってしまった。

「パソコンで車の部品を見ているなら、席譲ってください」

思いっきり胸ぐらを掴まれて、殴り合いの喧嘩になりそうな場面で店長が割って入った。

 

私はただ仕事をしたかっただけ。

他の新入社員の同期は皆パソコンを支給され、楽しそうにしているのを聞いていた。

「なぜ皆本気で仕事に向き合っていないのか」と、空回る気持ちをよそに他の社員達はバカ笑いしながら仕事をしていた。

 

それからも怒鳴られようが、胸ぐら掴まれようが、朝一番に出社し淡々とメール反響を取っていた。

辞めるつもりの男の意地が実りつつあった。

徐々に成績も数字として表れてきて光が見えたかに思えた。

 

だが負けじと対抗してくる5歳上の先輩がいた。

私より早く出社し、集客が私に集中しないように根回しを完了させて横の連携までとってきた。

 

私の成績は簡単に伸びなくなってしまった。

あっという間に潰された。

 

この経験のおかげで横の汚い連携を取られたら「正攻法では勝てないのだな」と学ぶことが出来た。

 

ついに辞める覚悟が決まった!一世一代の最後の秘策をぶつける

コネも力もない私は見事に潰されて、雑務を押し付けられる時代に戻ってしまった。

「もう来月の7月末を以てこのクソ会社を辞めよう」と覚悟が決まった。

「どうせ辞めるなら最後に生意気なことを言って辞めてやろう」と思い、店長に相談した。

 

「1か月だけ私に集客を回してください。店でトップを取ってみせます」

「もし、取れなかった場合は一生雑務で良いです!お願いします!」

 

と、頼み込んだ。

(どうせ来月辞めるのだから、トップを取れなくても一生雑務などすることもない)と思いながら意思をぶつけた。

「またヤキが入るかも」と思ったが、あっさり2つ返事で承諾を得ることが出来た。

 

そこから私の怒涛の30連勤が始まった。

 

私にはコネも力もない。

私が持っている武器は、唯一「圧倒的な時間の投入」だけだ。

 

持っている武器は周囲を見渡しても、たったこれだけ。

当たり前だが、知識も経験もない23歳の若造に何が出来るというのか。

 

知識も経験もない人が抜きん出る為には、”時間”という資源の圧倒的投入。

これしかないと思った。

 

のちに時間は「武器のない人間の最強の武器」になることを学んだ。

 

店舗で1位を獲得!勝因は30連勤というブラック中のブラックな手法

 

30連勤という凄まじい時間の投入のおかげで、店舗一位を獲得することが出来た。

「やっぱり元々才能があったんじゃん!」

ここであなたは思うかも知れない。

 

そうではないことを伝えておく。

私は非常に空気が読めない中、失敗を繰り返しながら前に進んだ。

ダントツに空気が読めなかった事例をご紹介する。

 

・2人組の女性のお客様を接客した際に「お母さまはこの物件どう思いますか?」と尋ねた結果、友達同士だった

・お客様に見せる物件の近くに車が止められず、空いていた場所に止めた結果、暴力団の事務所で冷蔵庫みたいなガタイの人に囲まれた

・風俗にお勤めの方に「どういう理由で働いているのですか?」と尋ねてしまった

 

書いていて情けなくなるので空気が読めないことによる失敗を紹介するのは、これくらいにしたい。

それでも毎朝一番に出社し、他の社員が休んでいる時は「チャンス!」と思い続けて出勤し続けた。

途中からランナーズハイでもないが、昼を取るのも時間の無駄と思い割愛。

 

ここまでしてトップを取れないなら「営業職自体を辞めよう」と思いながら働いた。

とにかく働いた。

風邪を引いても出勤し続けた。

 

その結果、ギリギリで取れた店舗一位。

正直、嬉しかった。

 

ただ店舗一位を取ったことより嬉しかったことがある。

店舗にいる上司や先輩達の態度が、180度変わったことだった。

 

その時は忙しくて気付かなかったが”先輩達が次第に協力的”になっていたのだ。

本気で仕事をする姿に共感して頂けたのだと思う。

 

「木っ端・汗っかきマン」

そう言われていた私だが気付けば「秀吉、あの件大丈夫か?」と、しっかり名前を呼んでくれていることにも気付いた。

 

気付いた時、嬉しくて泣けてしまった。

仕事に対する姿勢が周囲に伝播していったのだ。

 

あとから知ったが、北海道一番の繁華街の店舗ということもあり、お客様も社員もくせ者ばかりだった。

くせ者達に認めてもらうには、生半可ではないことを知った。

 

この経験のおかげで知識も経験もない人間が周囲から認められたり、協力してもらうには「仕事への覚悟が大切」だと改めて痛感した。

 

新人王に!気付けば新人の中でもダントツトップになっていた

一度信頼を店舗で勝ち取った私は、成績を上げ続けた。

気が付くと新人社員の中でダントツトップに輝いていた。

元々長い鼻が、グングンと伸びていった。

 

その頃にはおかげ様で3社から引き抜きの話が出ていた。

そのうちの1社が高級戸建住宅の営業としての引き抜きの話だった。

 

取り扱う金額が人生で最も高い住宅営業の仕事。

「営業の最高峰だ!」と確信し、転職を決めた。

 

賃貸営業でトップを取ったこともあり「あっという間にまたトップになってやる!」と息巻いていた。

だが、あっという間に長い鼻がポッキリ折られることを経験する。

 

ただその当時はそんなことなど気にせず「頑張れば他社から声がかかるんだ!」と思っていた。

期待を膨らませて次のステージに挑戦することが決まった。

 

壮絶なイジメ!前職が天国に思えるような地獄を送ることになる

転職後、期待と気合に満ちていた私に待っていたのは壮絶なイジメだった。

前職をイジメと記載したことを謝るくらいの過酷なイジメであった。

 

前職と違い直近の上司のイジメではなく、グループ会社のNO2の専務からのイジメ。

この一年間は30年間生きた中で、一番辛かった。

 

その方は”ゴマすり”でのし上がった人だったので、営業力に関しても目を見張るものがなかった。

周囲も分かっていたからこそ、本人も営業力にコンプレックスがあったのだろう。

若くて、成績が伸びそうな人には、とても執拗に嫌がらせをしていた。

 

なぜなら当時、若い営業マンは私以外は全員辞めてしまったのだから。

 

本当はここで受けた壮絶なイジメの一部始終を記載したいのだが、読んでいる方の気分が悪くなると思いバッサリとCUTすることにした。

 

その地獄のような毎日を過ごし、半年を過ぎようとした辺りで「辞めよう!」と決意した。

ただ、会社のNO3の常務取締役が私の辞める気配を察知し、あるアドバイスをしてくれた。

 

「専務をお客様と思ってごらん。発言する癖・怒るポイント・喜ぶポイント、しっかり観察した上で対応してごらん」

「そうすれば、接客するお客様は神様だと感じることが出来るし、君の器も大きくなるはずだよ」

 

その後、こう続いた。

「辞めるのは簡単だよ、どうせ辞めるのなら実績を出してから辞めなさい」

 

…!?

(この環境で?)と思った。

 

ニュースで報道出来る程の嫌がらせだったが、一番信頼している人の言葉だった為、「もう少し頑張ろう!」と覚悟を決めた。

 

なぜならそのNO3の常務取締役は、前職含め通算20年間NO1のトップ中のトップ営業マンだったからだ。

 

今でこそ「踏ん張って良かったな!」と思える。

私は売上を挙げるデキる上司は沢山見てきたが、デキた上司は初めてだった。

私は「この人に認めてもらうまで頑張ろう!」と決めた。

 

振り返ると、本当のリーダーとは「どうあるべきなのか」をこのポイントで学んだ。

 

”ある方法”で住宅営業でもトップを飾ることができた

イジメは抜きにして、高級住宅を売ることに関しては苦労した。

3ヵ月連続休みを返上するブラックな就業形態を自ら望んで取り組んだ。

だが私の得意技の”圧倒的な時間の投入”だけでは成績が伸びずに悩んでいた。

 

そこで常務取締役の「発言する癖・怒るポイント・喜ぶポイント、しっかり観察してごらん」という言葉を思い出し、時間の投入先を仕事の業務ではなく、営業の勉強に費やすことに決めた。

そもそも営業の勉強などしたことが無かったし、多くの人は「感覚で営業」をしていたから、営業の質問をしてもピンとこなかった。

そこで、営業で活躍している全国の人に目を向けた。

 

もちろん全国には行けないので、本を出版している人に絞り、書店に足を運んで探すことに決めた。

元々読書の習慣があったため、自己啓発本や心理学・営業の本を読み漁ることにしたのだ。

営業と心理学の本の1日2冊の本を読むことに決めた上で、読んだ内容を仕事で実践し続けた。

 

そしてポイントは、読んだ1冊の本から「必ず1つ以上は仕事で実践してみよう!」と決めていた。

 

なぜならば、半年もすれば360回新しいことを試すことが出来るからだ。

つまり半年も経てば「1回り成長出来る!」とウキウキして取り組んでいた。

 

意識したのは、たった3つだけ。

 

・インプットした直後にアウトプットすること

アウトプットして自分に合わなかったら即その手法を捨てる

とにかくPDCAサイクルを繰り返すこと

※とにかくインプットだけで終わらせないこと。

 

「1回り成長出来る!」という予想は当たり、メキメキ成長していくのが自分でも分かるほどだった。

人間は成長を実感すると、より成長を求める習性があることを学んだ。

 

本だけでは飽き足りず、あらゆる隙間時間を利用した。

営業や自己啓発のDVDを買ってみる

実際に話を聞けるセミナーまで参加

通勤時間はオーディオで営業のノウハウを聞く

トイレに入るときは電子書籍をiPhoneで読む

 

このように、あらゆる隙間時間を営業の勉強に費やしたのだ。

これで営業のトップを取ることが出来なければ「一点の曇りもなく営業を辞めることが出来る!」というくらいまでやり切った。

その結果、1年かからずトップを取ることが出来た。

 

本だけで、年間100万円以上の自己投資をし、DVDや講演などを含めるとその倍以上である。

仕事も勉強量も1年間で圧縮した。

行動してみて分かったが、実践も大切だが頭脳への投資が最も大切だと身に染みた。

 

株やFXも素晴らしいと思うが、最大の投資は脳みそへの自己投資ではないかと思う。

 

脳みそへの自己投資は「誰にも奪われることがない貴重な財産になる」ことを学んだ。

 

パワハラな上司を跳ね除け、凡人だった私が現在進行形で60ヵ月グループNO1に輝いている。

その理由は”今でも”自己投資を続けているからだ。

 

人生は死ぬまで勉強だと思っている。

 

prologue~私が苦労して学んだ営業ノウハウを盗んで欲しい

私は、営業の”一過性のトップ”などに価値がないと思っている。

5年連続トップを走り続けて分かった事実がある。

 

営業には「再現性がある!」ということだ。

 

一時期、売れて終わりではなく、売れ続けなければ意味がない。

再現性なくして、営業は語れないと思っている。

 

これだけ時代の流れがはやいなかで「昔はこんな風にすると売れたんだよ!」と、昔の手法を声高らかに語っても仕方ない。

それよりは現役で売れ続けている人のノウハウを学ぶ方が成長は早い。

小手先のスキルを学ぶのも大切だが、まずは営業の考え方を最初に学ぶべきだと思っている。

 

営業で悩んでいるあなたに伝えたい。

私は営業成績が挙がる手法を余すことなく、このブログで伝えていこうと思っている。

 

私のHPで得られることは、たった3つである。

大量の本を読まずにこのブログで営業力が身につく

再現性が実証された営業スキルが身につく

私のように泥のように働かなくても営業力が身につく

 

私の営業人生を圧縮して、極上のエッセンスとしてあなたに届けたい。

 

あなたは大量の本を読む必要もないし、大量の時間をかけずに売れる方法を獲得できる。

難しい本を読む必要はない。

私のブログは営業の新人の方向けに分かりやすく書いている。

 

あなたがこのブログを通して力をつけて、目の前のお客様を幸せにしてあげて欲しい。

 

年齢や学歴など関係なく人生を大きく挽回出来るのも営業職の醍醐味である。

 

あとはあなたが行動するか、しないかの「たった2択」である。

 

 

秀吉